偉大なアーティスト

彼は箏弾きで、10年前共に学んだ仲間だ。

身体つきは細っそりとして長身で、
顔はサラッとした色気のある男前。
繊細さが身体や顔にそのまま滲み出ているような、そんな人。
精神の不安定さが魅力で、たまにそのあまりの脆さにこちら側が辟易することもあったけれど、それも彼の美しい個性の一つだった。
彼とは箏の事、音楽の事、沢山話した。

「楽器を弾く、って考えたらダメなんだよね。
"音楽する"って事がとても大事で。ついつい忘れがちなんだけどね。難しいし」
彼の話は哲学的な部分もあって、いつも魅力的だった。
一度電話をすると、音楽の話で2.3時間があっと言う間。
スマートな立ち居振る舞いの彼は多分女性にモテた方だと思うし、彼自身も女の子が好きだった。然し乍ら、私と彼の間には男女の恋愛的な匂いは全く無く、それがとても心地よかった。
「ねえ僕はね。あなたには絶対手を出さないよ。その位今の関係が大事だから。一生音楽の話を一緒にしたいから」
「ありがと、私が先死んだら、お墓の前で箏弾いてよ」
「だいぶジジイになってるだろうから、上手く弾けるかな」
「そうだな。何にせよ歳とったら、手は結構震えるから。逆にトレモロが今より上手くなってるかも笑笑」
「笑笑」
こんな他愛も無い、楽しい会話。

そんな彼の箏の演奏はやはり繊細そのものだった。繊細で、ストイック。音の一つ一つの意味合いがとても深い。
私は彼の奏でる音楽が、とても好きだった。
彼はその繊細さ故に、舞台での演奏をあまり好んでは居ないように見えた。
自分に架す課題の高さ。理想の高さ。
少しずつ上げていけば良いと思うハードルの高さを、一気に最長まで引き上げて、一気に跳び越えなくてはならない、と思っているように見えた。

ある時彼のお父様が倒れ、彼は東京から地元に戻り、長い間、お父様と寄り添って過ごした。
お父様は闘病生活の末亡くなった。
その時久々に彼から電話があった。


その電話から、2年くらい。
彼からの連絡はなかった。

今日2年ぶりに電話がかかって来た。
落ち着いた静かな声で、
「今地元を離れ、縁もゆかりもない土地で1人で暮らしている」
との報告を受けた。
落ち着いた静かな声で。棘を一切含まない、柔らかい声で。感情豊かな声で。
ああ、今彼は、遥か彼方の土地で、こんな風に音楽をしてるのだろう。箏を実際に弾いているかどうかは大した問題ではない。
そんな風に思った。

改めて彼を誇りに思ったし、
それから、
10年も前の彼のセリフを鮮明に思い出せた。
「''音楽する''って事がとても大事で」

彼は、私にとってずっと、偉大なアーティストだ。

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