風鈴の行方
風鈴、というモノは「風を音にしている」のだなあと思うと、何とも贅沢な気持ちになる。
硝子の風鈴。鉄の風鈴。どちらも良い。
昔、こよなく愛している「My風鈴」があった。
素材は南部鉄。桔梗の花を逆さに吊るした様なシンプルな鐘の形。
同じく南部鉄で作られた、紫陽花の葉の上に乗ったカタツムリ、のオブジェがくっ付いていた。夏に使う風鈴に、梅雨時の景色がぶら下がっている、というのも趣(おもむき)深かった。
鉄ゆえに、手に持つと、想像以上にずっしりと重い。その重さも、お気に入りだった。
色は、高麗納戸(こうらいなんど)をもっと深くした様な色。
その、お気に入りの南部鉄の風鈴が、
「夏の盛りを駆け抜ける一陣の風」を捉えて鳴る一音は、
混じり気なく澄み切って、遠くまで真っ直ぐに、真っ直ぐに。
そして余韻が空に溶けた後の、夏の沈黙。
大好きな時間だった。
…のだが。
引っ越しの際に、その南部鉄の風鈴は、姿を消してしまったのだ。
折を見て何度も家中を探し回っているのだが、一向に見つからない。
私のお宝の数々(ガラクタコレクションとも言う)の中でも、一番のお気に入りだったのに。
いつか見つかるだろうと思っている内に、夏は5回、6回とやって来ては去って行く。
新しい風鈴を代わりにする気持ちになれず、
私は夏になると、自分の心の中で、幾度となく、その南部鉄の風鈴を鳴らす。
近頃は、その心の中の音が、自分の一番の、理想の風鈴になって来ている感がある。
この先、ひょっこりと南部鉄の風鈴が出て来るとして。
喜んだのも束の間、音を聴いて
「あれ、こんな音だったかな。心の中のものと違う」
とがっかりするかも知れない。
それが嫌なので、風鈴探しは、一旦打ち切りにしている。
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